INTERVIEW

原山化成工業トップインタビュー

伝統とは革新の連続である

原山化成工業株式会社・原長株式会社 取締役

原山長之/ NAGAYUKI HARAYAMA

実家に戻り、取締役になる決意

私は原山家の長男に生まれ、高校卒業まで見附市にて、実家を継ぐことが使命だと育てられていました。 そして大学進学のタイミングで東京に行き、卒業以来10年間、東京丸の内にて勤務させて頂きました。
就職したのは、株式会社船井総合研究所という一部上場のコンサル会社。将来実家を継ぐために、一番勉強になると考えたからです。死に物狂いで働き、一人前の経営コンサルタントを名乗らせてもらっていた私は、30代となり決断のタイミングを迎えました。

「実家に戻るべきか?それともこのまま東京で出世の道を目指すのか?」
実家を継ぐための勉強、と思い入社した船井総研ですが、仕事はエキサイティングで面白く、東京は刺激的な街でした。もし自分に野望がなければ、このまま東京で働いていたのだろうな、と思います。
しかし、私の心は、決まっていました。

30代までは、実家を継ぐこと、実家に戻ることは自分の義務だと感じていました。
しかし、面白いことに、実家に戻る決断をした際には全く違う心境でした。実家のためでもなく。親のためでもなく。期待や役割のためでもなく。
矮小な自分でも最大限世の中に貢献できる可能性があるのなら。今よりもっと社会をより良く出来るなら。
自分の経験や立場、環境。実家やこれまでの歴史も含め、全て利用し尽くして社会にインパクトを残してみよう。
伝統を守るのではなく、伝統を利用し尽くして革新を図ろう、そう思うようになりました。

日本はこれから大きく社会構造が変わる

日本は戦後、人口増加の波に乗って高度経済成長を迎えました。人口が増えるということは、需要が増えるということです。
需要に対して供給が追い付かない、つまり常にモノ不足だったため、モノをつくれば売れる時代が続きました。良いモノをつくれば売れる。モノを製造することが偉い。そういった時代が続いてきました。
しかし、2000年代後半から、日本の人口は減少局面に入りました。
需要と供給が逆転し、需要に対して供給過多、つまりモノ余り、企業余りの時代に入ったと認識しています。不要な商品、不要な企業は淘汰される時代になり、何かに専門特化した「選ばれる強み」がなくては売れない時代になりました。

日本の製造業の新しい姿を目指したい

これからの時代、日本経済が下り坂となった中で生き残るには、これまでの経済成長時代の成功体験を捨てなければならないと感じています。 捨てるというより、むしろ当時の成功体験の真逆のことをしていかなくてはなりません。
人口増加時代は、従業員をクビにしても代わりはいくらでもいました。人を教育するより、多少賭けでも新しい人財を採用した方が安上がりでした。
人口減少時代の今は、代わりはいません。採用コストが莫大に上がっています。採用した人材に辞められては困ります。時間をかけてでも教育をしっかり進めて定着してもらうことが企業の合理的判断です。
また、一人当たりの生産性を高めなくては、給与を高めることは出来ません。そのためには、より経営効率の良い事業を拡大していかなくてはならない。経営効率の良い事業は、常に革新的な新しい挑戦をし差別化していかなくては成しえません。

伝統とは革新の連続である

弊社は130年前に創業された原山長平商店が元となっています。当時、日本の繊維産業が花形だった時代に、染料工業薬品卸をしていました。そこから化学の道をスライドさせ、発泡スチロール製造へとシフトし、今日に至ります。
「伝統とは革新の連続である」という言葉があります。
世界中の老舗と言われる伝統的な企業のほとんどが、その歴史の中で何度も中心事業を変え、過去の自社の在り方を再定義しなおすことで、常に今の世の中に最適化することで存続を果たしています。
これまでの歴史があるからこそ、常に何かを変え過去を否定する。常にアップデートを続ける姿勢で経営に向き合って参ります。